受付けの爺さんと立飲みへ

学園前西部公民館で受付してる82才のお爺さんと一緒に西大寺の立飲みへ行きます、浪華商(浪商高校)昭和28年甲子園で準優勝、一番センターというお爺さんでございます、新聞の切り抜きを前に見せてもらいまして、立飲みでこれ誰かわかるかっと、奈良が生んだ稀代のスターさんまやんかっといいますと嬉しそうな顔をして、爺さんはやっぱり腰が座ってバッティングが違うなっといいますと、そやろう、そやろうっと相槌を打ちます、これはいつと聞きますと、昭和50年やと微笑みます、人生の終着点が見えてくると楽しかった日々を見せて楽しませるというのは微笑ましい限りでございます、そうか爺さん90才まで頑張って仕事をせなあかんでっと生意気に励まして、ビール一杯飲んで、熱燗一本飲んだら、ほな帰ろかっと勝負の早い飲み会でした。

子供用バファリン

ひさしぶりに風邪を引きまして、一昨日の火曜日は18時間ぐらい床に伏しておりました、すっかり身体は元気になりましたが、ウチの子が2週間ぐらい治りかかったら風邪を引くを繰り返しております、26日に行われる武術大会はただ出場すれば良しと言った塩梅になってきました、小学校でもあまり調子が良くないので先生に言っているみたいで、時々頭痛がするということで子供用バファリンを持って行かそうと思っていつ頭痛がするのやっと聞きましたら

「算数の時」

子供は正直でございます

総合型地域クラブへの発展

講習会を受けて、今後はクラブへの発展が望ましいということです
これは何かといいますと、例えば我々が月曜日に武術を教えるとして
火曜日は空手、水曜日はサッカー、木曜日は野球というように
地域で学校の部活動をするということです、この場合子供が
武術、空手、サッカー野球、サッカーを自由に行き来することが可能にする事
ですが、これは私なら「ええよ」っといいますけど、他の指導者は
なかなか厳しいのではないでしょうか、日本でいう尊敬とは
一生懸命するというのが主な考え方であります、これは同じ場所で努力や
辛抱をするっという考えでございます、ですので日本の中高の部活動で
夏は野球部、冬はサッカー部などする学生が圧倒的に少ないのは
それは尊敬されないからです、要はあいつはあっち行ったりこっち行ったり
だらしない人間だと思われるのです、尊厳がないところには成長は
ありえないのです、ですが手をこまねいていてはいけませんので
我々、総合型地域クラブの考えは賛成と述べておきます。

総合型地域クラブへの発展



総合的クラブを目指し一人一人が運動スポーツ活動の目的を尊重し
スポーツ活動をやめないで続けるための条件を整える役割を持つ
そしてより良い生活を根ざし一貫性のある指導を心がけ
学校、大学と連携し地域住民が主体となり多世代
文化国際交流、地域へのスポーツ文化の確立し
地域にはなくてならないクラブへ発展を目指す



主な活動

奈良先端科学技術大学大学院、(無料講座、毎週水曜日)

一般財団法人たんぽぽの家(毎月第三土曜日)
高齢者向け武術ワークショップ(第二、第四水曜日)

若年認知症サポートセンター きづなや(2019年1月から)



*カンフーとは武術の総称、太極拳、気功、ヨガ、呼吸法、ストレッチ
内臓ストレッチ、長寿学、推拿など含む

Kung Fu club

日本スポーツ少年団認定指導員

人間万事塞翁が馬といいますが、この検定指導員の出来事は強く思った次第です

事の始まりはおよそ2年前の木津川中央体育館の改修工事で
木曜日の練習が使えなくなり、改修工事のあと、木曜日から
金曜日にクラスを移動して順調にこなしていたのですが
あるときから使えなくなりました、これが春先です

さて理由を聞いてみますと、ある団体がおよそ半年前から
予約をしているということで、それには条件として
スポーツ少年団に所属する必要があるのですが
その団体を立ち上げるのに会から2名認定指導員を
出さなければならないということなのです、そこで
止むを得ず、指導員の講習、最終日にテストと相成ったのです

こちらは20年の指導歴で今更何を勉強するのやっと少々思って
おりましたが、改めて学び勉強することがよかったと
思いました、無事合格もしましたし、少し内容を紐解いてみますと
「トレーニング論」「体力とは」「指導者の役割」「医学的知識」
「ジュニア期スポーツ」「地域におけるスポーツ振興」などなど
感覚で理解していたものが、理論立てて説明を受けたり
新しい分野の勉強が出来ました。

いくつか重要な項目があるのですが、多くの方が理解して
ないであろうものを一つ載せておきます。

「健康の定義」
「健康というのは単に病気がない、虚弱状態ではないということでなく、
肉体的にも、精神ても、社会的にも完全な(健全な)状態のことをいう」

指導なされる方は受講されるのをオススメします。

プロは褒めず

東京でSpinnin Roninの役者たちに武術を教えて参りました。
皆プロのパフォーマーでございます。

普段のクラスでは生徒らの良い所しか見ません、人間ひとえに
弱点や欠点を探し出すのは得意であります、なぜでしょうかね
人間の特性なんでしょう

クラスで子供がトンチンカンな事をしても「元気があっていいじゃない」
尋ねても黙ったままでいる子は「気品があって上品じゃない」

となるわけです、本当にそう思っております

翻ってプロは褒めません、例え上手に動作をこなしたとしても
「いやあ〜、まだまだ」「まだ速く動ける」等、満足させては
ならないのです、プロは満足すると、技術が停滞します
それは他者に仕事を取られて「おまんまの食い上げ」
になるのです、プロはいつ何時も気を抜いたらいけません、それは
競争の中に身を置いている人間の宿命なのです。

まだまだ練習が必要というのがプロに対してもっとも優しい言葉です

我が師、呂耀鉄師父の話

萬籟聲師父の練習は非常に厳しいものだったと呂耀鉄師父聞きました
例えば動作を見せる時は一回だけ見せて覚えられないければ
教えなかったそうです、非常に緊張感があったそうです、その
練功を26年続け晩年まで毎朝4時に起きて功夫をしていた
のです、多くの武術家に出会いましたが、本当に圧倒的な功夫でした
フランス、オーストラリア、日本で萬籟聲師父の高弟っと言っておられる
方もいますが呂耀鉄師父が偉大なところは長きに渡って練習に耐えた
その継続の力だったのです、そして26年後に正式に自然門を継承されました。

武術家の旬はおよそ60才から80才だとされておりちょうどその時の萬籟聲師父
から26年の長きに渡って学んだ呂耀鉄師父は稀有の幸運だったと思われます。

自称高弟とされている方は萬籟聲師父の晩年のワークショップにて
習った人か、もしくは晩年に習った方々で我々(呂派)自然門と風格が違っております
専門的に少し説明しますと、晩年は重心が高く、身体が開き気味になっています
従来、重心をもっとも低い位置に落としそれから体重移動や突きや蹴りをする
ことによって功夫をつけるのですが、高齢になった萬籟聲師父はあまり
重心を下げることが出来なかったと呂耀鉄師父はおっしゃっていました。
萬籟聲師父が60才ぐらいの時のスタンスは非常に低く安定していたということです
武術は元来、黙念師容で良き手本を頭に残してそれを真似ること
でありますので高名な萬籟聲師父を皆が盲目的に模写したのがわかります

下の萬籟聲師父の写真70年代と90年代は身体の置き方が変わって
います、これは良し悪しでなく年齢と共に剛拳から柔拳に変化したのですが
呂耀鉄師父はこの剛拳から柔拳の流れも学ばれております、また20歳ぐらい
だった呂耀鉄師父は60才以上の萬師父に足腰の強さで勝てなかったと言って
おられました。

さて呂耀鉄師父が長きに渡って偉大な武術家萬籟聲師父に学べたのか、それは
1966年からの十年間文化大革命が起こり、公で武術の練習はご法度になったのです
ところが呂耀鉄師父の家の隣が萬籟聲師父だったというが幸いし10才ぐらいから
武術が学べたとようです、そして独立に26年要したのは武術は当然として
東洋医学、漢方、長寿学、推拿、陰陽五行、道教なども学んだそうです、事実
自然門推拿医療所を開いておりました。

その師父の元、一番いい時期に学んだのは私の財産になっております
少しでも呂師父に近づけるよう精進したいと思います、また資料など出てくればお話いたします


万籟聲師父監修のもと武術学院が組織され
呂耀鉄が責任者となり多くの生徒を監督指導する
80年代


80年代


万籟聲父師の助手をする呂耀鉄師父(左)
90年代


萬籟聲師父と呂耀鉄師父の実践見本
90年代


秘剣 馬牙刺剣
2000年代


万籟聲父師の奥さんと息子さんと呂耀鉄師父
万籟聲の息子さんから「父にもっとも武術が近い人物」と賞賛を受ける

自然門武術 四代目 呂耀鉄(ロ ヨウテツ)


80年代後半

1949年福建省 福州市出身
幼少から萬籟聲師父(バン ライセイ)26年間の 長きに渡って自然門武術を学ぶ
37歳(1986年)萬籟聲師父から正式に独立を許され 自然門武術館の設立
武術、東洋医学、漢方、長寿学、推拿、陰陽五行、道教など
(萬籟聲師父が唯一独立を許した人物)

37歳(同年)福建省武術学院責任者となり多くの生徒を監督指導する
37歳(同年)萬籟聲師父共に日本、台湾、中国の武術文化交流をする
41歳(1989年)福建省の伝統武術を代表して最上級部門で優勝
42歳(1990年)日本に招かれて六合拳の演武し賞賛される
45歳(1993年)中国、香港合同国際武術大会で金メダル5つ獲得
64歳(2013年)交通事故で亡くなる

* A級国際武術審判
* 福建省武術議会理事
* 福建省人体科学協会理事
* 福建省気功協会理事
* 自然門武術本部代表 正統四代目

呂耀鉄 設立
自然門武術館
萬籟聲 題

呂耀鉄師父以外にこの書を萬籟聲師父から受け賜った人物はいない


萬籟聲師父の代理で武術大学で生徒を指導
80年代後半


萬籟聲師父と呂耀鉄師父
80年代後半


呂耀鉄師父と私(林隆志)日本自然門武術
2009年3月


90年に日本に来られて演武をしていますが、福建福州市から
あまり離れられなかったようです。

自然門武術 三代目 萬藾聲(マン ライセイ)


1920年頃

1902年湖北省 武漢市出身
北京で杜心五師父から自然門を学び
その他の武術家からも学ぶ
20歳頃(1922年頃) 北京農業大学に入学
26歳(1928年) 南京で行われた武術大会で学者や著名人から見出される 最初の著書、「武術集」を出版、将軍の階級を与えられた初の武術家
50歳(1952年)に福建省委員会に誘われ福建省に移住
84歳(1986年)に福建省武術学院が万師父監修のもと組織され 高弟の呂耀鉄(ロ ヨウテツ)が責任者となり多くの生徒を監督指導する。 晩年は精力的に講演や更新の育成に励む
91歳(1992年)で死去 *偉大な武術家で学者でもあり、道教と漢方薬の専門家以上でした 「武術教育を通して国を救う」というアイデアを持っていました。

十虎のうちの一人と呼ばれた伝説的な武術家
中野理男、宗 道臣(そう どうしん)日本少林寺拳法
宗さんが萬籟聲老師から学んだと伝えがありますが真相は不明です


1.湖北省生まれ→2.北京で自然門や多くの武術を学ぶ→
3.杜心五師父らと共に南京に移り→4.福建福州に招かれる

その他、萬藾聲が学んだ老師たち

劉百川老師(チョウ ヒャクセン)

少林寺羅漢神功と推拿(整形外科)を授ける


趙鑫洲老師(チョウ シンジャゥ)

六合拳の槍、形意拳、八卦掌
特に六合拳にすぐれていた

楊畏之老師(少林拳)
鄧芝霊老師(道功)
王顯齋老師(道功)
王禜標老師(通臂拳、劈挂拳)から
内功、外功、道功、薬功を学んだと伝えられています。

1970年代

1990年代

愛弟子、呂耀鉄

晩年は多く武術講習会を開く