
1990年代終わりのニューヨーク武術界はこのShi Yan Ming(释延明)という人物を中心に回ったと言って過言ではなく、また彼の経歴は劇的で海外に派遣された最初期の少林武僧で米国に亡命してディスカバリーチャンネルに特集され、Wu-tang clanや著名人を生徒に引き込み知名度があっという間に上がりました。この時期に陳英(この人の方が功夫が上だった)という人物とShi Yan Mingは一緒にクラスを運営していたのですが、ディスカバリーチャンネル取材の前日に陳英を解雇にするという寝技師的な側面も持っておりました。後日自分自身がこの双方から武術を習うのでした。

2025年3月2日雨の中、大阪の茨木まで車をすべらせます。川口先生という方の少林拳を習いに直走ります。昨年の秋ぐらいにクラスに来られた方が以前、東京で川口先生に習っていたと言っており今回の講座をご連絡していただきました。武術兄弟に日本人で少林拳をしている人がいると言われまして、兄弟は「彼は苦いものを食べている」(功夫がある)と言っていたのを思い出します。日本の大会に出られて2位になったと聞いて、あの川口先生の圧倒的な功夫が2位と聞いて少し驚きましたが、実践なら圧倒していたと思います。
指導は騎馬立ちから入っていきました。どんなに功夫があっても基本中の基本をおろそかにしないのは、どこでも同じだなと感心をします。少林武術の真髄である拳打一条線と練丹田を実際に体感したのが本当によかったと思います。また何気ない言葉にも得るものがありました。ニューヨークでShi Yan Mingから学んだ少林拳はまた別物でしたが、25年前の動きが体に残っていたのに少し驚きました。Shi Yan Mingと袂を別ったグループに後に八極拳のペドロマルティネス、自然門のルディイバラと彼ら武術兄弟になり、私の武術の骨子になったのですから、少林武術に因縁を多少感じます。

川口先生は何より体が強いと印象を受けました。人柄も良くまた大阪に来られましたら、小洪拳をしっかり練功して受けたいと思います。一度機会があれば対峙したいと思っております。