投稿者「sushi」のアーカイブ

自然門武術 三代目 萬藾聲(マン ライセイ)


1920年頃

1902年湖北省 武漢市出身
北京で杜心五師父から自然門を学び
その他の武術家からも学ぶ
20歳頃(1922年頃) 北京農業大学に入学
26歳(1928年) 南京で行われた武術大会で学者や著名人から見出される 最初の著書、「武術集」を出版、将軍の階級を与えられた初の武術家
50歳(1952年)に福建省委員会に誘われ福建省に移住
84歳(1986年)に福建省武術学院が万師父監修のもと組織され 高弟の呂耀鉄(ロ ヨウテツ)が責任者となり多くの生徒を監督指導する。 晩年は精力的に講演や更新の育成に励む
91歳(1992年)で死去 *偉大な武術家で学者でもあり、道教と漢方薬の専門家以上でした 「武術教育を通して国を救う」というアイデアを持っていました。

十虎のうちの一人と呼ばれた伝説的な武術家
中野理男、宗 道臣(そう どうしん)日本少林寺拳法
宗さんが萬籟聲老師から学んだと伝えがありますが真相は不明です


1.湖北省生まれ→2.北京で自然門や多くの武術を学ぶ→
3.杜心五師父らと共に南京に移り→4.福建福州に招かれる

その他、萬藾聲が学んだ老師たち

劉百川老師(チョウ ヒャクセン)

少林寺羅漢神功と推拿(整形外科)を授ける


趙鑫洲老師(チョウ シンジャゥ)

六合拳の槍、形意拳、八卦掌
特に六合拳にすぐれていた

楊畏之老師(少林拳)
鄧芝霊老師(道功)
王顯齋老師(道功)
王禜標老師(通臂拳、劈挂拳)から
内功、外功、道功、薬功を学んだと伝えられています。

1970年代

1990年代

愛弟子、呂耀鉄

晩年は多く武術講習会を開く

自然門武術 二代目 杜心五(シャ シンウ)

清時代後期、湖南省の人(1869一1953) 6才頃から梅花拳、南拳、武当拳を学ぶ
13歳で四川省峨眉山にて徐矮师師父の元で自然門武術を学び
特に波脚(矮人歩)を授かる、ボディーガードの仕事などする

31歳(1900年)東京帝国農業大学へ留学
38歳(1907年)蒋介石のボディーガードになる
41歳(1911年)辛亥革命のち農林大臣に任命される
57歳(1927年)中央政府が南京に移り農林省で働く
63歳(1932年)湖南省にて第二回中国武術大会の委員メンバーになる
84歳(1953年)家族に見守られて生涯を全うする。

親分(蒋介石)がいきなり中国最高責任者になったというのが
生まれ持っての運があったように思います、武術の関係では
曽祖父に当たる方ですが、この東京に行った経緯など、そして
蒋介石のボディーガードをした話など波乱万丈の人生ですね
東京でお相撲さんを投げた話なども残っています


1.湖南省で生まれ→2.俄眉山で徐矮师師父の元で修行→3.東京で蒋介石のボディーガード
4.北京で農林大臣→5.南京に移る

陰陽五行の理

中国武術は陰陽五行思想が根底にありまして
最近演武をするということで久しぶりに型の練習に勤しみました。
応用拳の中に炮拳がありこの拳では割合多く出ます
五行で火、五臓で心臓に当たります(五行と五臓は結びついてると考える)
俗にいう五行相生の木火土金水で
木は火を生じて火は土(灰)を生んで土(山)から金が生まれ金から水がそして木に戻り

木=崩拳=肝臓
火=炮拳=心臓
土=横拳=脾臓
水=鑚拳=腎臓
金=劈拳=肺

相剋は金木土水火→金に返ります、じゃんけんを5つにしたといえばわかり良いでしょうか
金(斧)は木を切り木は土から養分を取り土は水を止め水は火を消す火は金(鉄)を溶かす
こんな感じであります

金=劈拳=肺
木=崩拳=肝臓
土=横拳=脾臓
火=炮拳=心臓
水=鑚拳=腎臓

火=炮拳の技には水=鑚拳の技で抑え込みやすいのです、また
心臓は脾臓を助けるがそればかりすると肺が虚になります

先週練習でたくさん打ったあとに心臓は炮拳と思いながら打ちます
心臓とか肺とかはわかりやすい方なのかもしれませんね

生年月日の陰陽五行は興味がありませんが、古代中国では色を五色、音を五音、料理を五味で
無限の組み合わせになったようです、武術といいますと五体で無限の組み合わせになります。

東京散歩

Spinnin Roninの10月30日の演武会が終わりまして
翌日は娘さんの幼稚園のハロウィンパーティーでございます
アンクルタカシは写真を担当します、そうしましてから練馬から
池袋それから東武東上線の大山駅へSpinnin Ronin専属のトレーナー
いわたさんのところで身体をほぐしてもらいます、大変ほぐれました
ありがとうございました。帰り道に蕎麦屋さんに入りまして、富士そばを
頼みます、さすが江戸前のそばは腰が少し硬く汁が少々濃いなっと
すっかり鬼平気分でアーケードを抜けて行きます。

スター加世田2018年

先月無事にワークショップが行われました、講師はニューヨーク時代お互い切磋琢磨した
加世田さんでございます。現在もプロパフォーマーで武術の技術で生業にしておられます
軍警察関係、指導者、演者と武術の場合、この三つが主な生き方でしょうか
ワタクシなどは指導者プラス肉体労働でございますが、純粋に武術だけで生活して
いる加世田君を羨ましいと思う反面、大変だろうなっと思っております。
武術家は保守的な人が多いのですが、加世田君など違うものも積極的に取り入れており
いろんな変化が見て取れるのはニューヨークで学んだという土壌がそうさせるのでしょう

庭師

コンクリートの法面の草を刈ります、最後は除草剤を投入して終了です
軽く腰を捻ってしまいました、ぎっくり腰の少し手前の感覚と言って
よろしいかと思います、仕事の前もきっちりストレッチをしなければ
いけません、肝に命じます。

自然門武術創始者 徐矮子(ジョ ワイシ)

先週ないとフォーバーイコマにて「みんな大好き自然門武術」と銘打ってお話をしてきました。
マイナーな門派ですので、よく南拳とか南少林寺のといわれるのですが、源流は四川省
峨眉山でございます、北派で峨眉系が源流です

創始者は徐矮师ジョ ワイシ(Xu ai shi) 1840年頃の方で貴州省出身
その他はあまりわかっておりません、我が師父の四代目のところにいけば
ある程度わかるかもしれませんが、仙人みたいな人と曖昧に
伝わったりしていますが、わかっている範囲で

四川省 峨眉山にて修行、峨眉派系武術 幼いころから軟硬気功等を習練し
内外家、南北派の武術に精通していた。成人後は世間を渡り歩き
高名な武術家などから教えを受けたなその後山に隠遁し研鑽を重ね創始した。
また身体が非常に小さかったようです。

兄弟のいうところ「自然門」という名前は二代目が名付けたという
話もあるようです


1. 貴州省出身→ 2. 俄眉山で修行 自然門武術を創始する

仙人が住む山といわれる峨眉山

中国三大霊山 峨嵋山、五台山、天台山
中国四大仏教名山 峨眉山、五台山、九華山、普陀山

ここ四川省の峨眉山はヒマラヤの入り口ですのでインドから経由した武術が
元になったのかもわかりません、イスラム(回族)や道士が武術を伝えたかと思います
菩提達磨は四大仏教名山の峨嵋山通って嵩山少林寺へ向かったかもしれませんね
歴史ロマンはつきませんね

台風一過

大きな台風が過ぎ去って、嫁の母さんのアパートの屋根が飛んで水浸しになったり
家のサルスベリがもう少しで根っこごと持っていかれそうになったので
ノコギリで枝を打ちます、日本のノコギリは引く、西洋は押すです
このへんは武術的に面白い違いだなっと思ったりしています。
さて子供にノコギリは引くんやっと言ってやらせますが、なかなか難しいようです

旅の醍醐味と夏の終わり

ニューヨーク時代の生徒の横山君に会いに諏訪に行ってまいりました、霧ヶ峰をもう一度見て
登りたいと思っておりました、諏訪は今回で3回目になります

私にとって旅の醍醐味は人に会うということ、知らない場所を観るの
二点になります。

晩御飯をいただいてる時に横山君のお父さんがもう45年諏訪マラソンをしている
っとおっしゃっておりました、それと横山くんの奥さんも3年ぐらいは走っていると
言っておられ、2年前に会った時とは劇的に変わっておられました、なるほど
走るのは良いことなんだなっと至極当たり前のことも人の経験を通して言われると
説得力が違います、帰って来たその日は早速3キロほどはしりました。

横山君のお父さんは月100キロっと言っておりましたので、私は月10キロから
始めたいと思います、良いことはすぐに真似ていきます、今年は走る練習を
重点的に置いていこうかと思います

50万貯めて来いよ

今年もニューヨークからこの二人組がやってきました。
最初に会ってから25年ぐらいでしょうか、お互い家族が
出来て、ええおっさんになりました

18年前に電話でニューヨークへ行ってええかと訊ねてきて
とりあえず50万貯めて来いっと言ったらちょうど交通事故で
お金が入ったと無茶苦茶やなっと笑ってJFKに迎えに行ったのは
昨日のようです。