教え方

経験で上手な教え方というのは「教えない事」だというのはわかっていました
ワタクシがニューヨークで武術が一番伸びたのは教えてくれない腕のいい武術家に
習ったからです、多くの一流指導者は教えるというより気づかせると
いうことに比重を置くのは周知の事実でございます

高校生の時はラグビー部に所属しておりました、それはまだ軍隊式の
風潮が残る練習でございまして、練習と言いますと聞こえよろしいですが
要はシゴキでございましたチーム力をあげるというより先輩の
鬱憤を晴らすそういった理不尽な練習で一年生の時は如何に練習を休むか
というのをいつも考えておりました、うまくなる筈もございません、苦笑
この1年生の時経験した夏休みの合宿があったから、その後の人生で少々
きついことがございましても、あの時に比べたらと思うようになりました

それがアメリカに渡りまして、一転して「褒める教育」に出会ました
基本は褒めるでございます、それはもう動くだけで「素晴らしい、美しい」と
言われるのです、お世辞という言葉が空々しいぐらいでございましたが
本気で褒め続けられますので嬉しくて練習したのを覚えています
ゆとり教育が失敗と言われる今日ですが、日本の学校教育ベースは
褒める形から形成されつつあるように思います

「しごき」か「褒めるか」のどちらが良いかと議論しますに、トップを
狙うのではあればどちらのやり方もダメでございます、要するに
「賞罰」というのはアメをもらうから頑張る、鞭を受けたくないから
頑張るという構図では自立が確立しにくいのです、成長すると
いうことは自ら思考して努力することでございます、誰からに
与えられたり、罰することではございません

少し詳しく述べますと「褒めることは”能力のある人が、
能力のない人に下す評価”でありその目的は”操作”である」
故にほめてはいけない、アドラー心理学ではそう言います

スパルタ式の戸塚ヨットスクールの戸塚氏の著書もなかなか
興味深く人間の行動原理は「快を求め、不快を避ける」
如何に質の高い不快感を与えるか、と実は一理あるのですが

どちらも原始仏教のような劇薬に近い考え方に思えますが
これからはアドラー派の教育が主流で世の中は進んでいくかと思います

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